Japonism初期感想〜ならとんちきがどれほどのものか見せてやるよおおおおと叫ぶ準備はできていたが嵐はマジだった
私がTwitterで嵐のアルバムの曲別感想を書き出したのは2011年7月発売のBeautiful Worldからで、それには震災とか色々な理由があったのだが要は「なんで今この人たちがこういう音楽やってるのか」という事を自分なりに探るためだった。
でもこのアルバムでは何でこんな曲入ってるんだとか、この人達こういう音楽与えられてどう思ってんだろ、と探る気持ちが出てこない、全部答えが最初からあらかじめ提示されていた「外側から見た日本でジャニーズの原点です」と。
で結局その言葉からくるイメージを良い意味で裏切ってるのが本作。
ジャニーズが「外側から見た日本をテーマ」とか言えば、オリンピック狙いだろ、日系米人が占領軍側から見たヘンテコノスタルジーお稚児さんだろ、浅草の仲見世で売ってるみたいなてろてろキモノガウン着てよさこいして太鼓叩いてんだろ、と思われるだろう。
ごめん私はそう思った。
先行発表されたリード曲「心の空」でWe are サムライ、ヤマトナデシコ♫と来た時ああやっぱり…と思った人は多かろう。ごめん私は思った。
そして少年隊の日本よいとこ摩訶不思議(ジュニアの子供達がクラシックとしてやるような曲)でまた不安は募る。しかしその心配はアルバムを聴き進めるにつれ消えて行った。
とにかく嵐は真面目だ。ジャニーズ・和・原点回帰という言葉から予想されるヤンキー臭さ、とんちきイズムをも客観視し相対化し、昔々あるところにとんちき爺さん婆さんと歌って踊る男子達がおりました、と涼しい顔をしてやってしまう。
*後日、2013年のコンサート「LOVE」で行われた「 FUNKY」という7−80年代ディスコのオマージュ的な曲に合わせて手旗信号的にペンライトを振るオーディエンス参加型の「FUNKYダンス」が今回も実施されることが発表された。当時は盆踊りのようだと思っていたFUNKYダンスだが今回のコンサートにはむしろその盆踊りイズムがしっくりくると思う。
もう一つのジャニーズイズムとみだら歌謡の完成形 イン・ザ・ルーム
80年代アイドル歌謡の煌びやかさと少年隊へのリスペクトに溢れ、ほとんどの曲が表拍四つ打ちに還元できるアルバムJaponismのなかでいきなり異彩を放つオフビートなこの曲、イン・ザ・ルーム。ここにある嵐のもう一つの源流、ジャニーズイズムとは、そうSMAP。
都会的でフュージョンなサウンドにダルな歌詞。SMAP1995年のアルバム「SMAP 007〜Gold Singer」で確立されたグルーヴの利いたブラックミュージックをベースにしたJpop。これもまたもう一つの大いなるジャニーズイズムでであることを思い出す。むしろ嵐がデビューアルバムARASHI No.1(ICHIGOU)〜嵐は嵐を呼ぶ〜で若々しく辿っていたのはこちらの流れだっただろう。
私見では嵐が辿ったSMAP以降の音の流れは次アルバムのHERE WE GO!で頂点を極め、続くHow's it going?でフィーリーソウル・ディスコへの回帰という形で一旦終わり、4枚目からはよりpopな曲が中心となっていく。だがこのSMAPの伝統は必ず嵐のどのアルバムにも見え隠れしてきた。成功した曲もあればイマイチの曲もありながらこのジャニーズの伝統をどう生かすか、試行錯誤は続いていた。ここに来てその形がひとつの完成形を見たように思う。
エッジが効いたSMAP 007〜Gold Singerの各曲に比べてこちらイン・ザ・ルームは紗がかかったような、どこか埃っぽい湿った世界。だがそこで展開される嵐五人のヴォーカルがとても魅力的。
「イン・ザ・ルーム」作詞:小川貴史 Rap詞:櫻井翔 作曲・編曲:Jeremy Hammond
*作曲・編曲者名は現在獄中にいる有名な若きハッカー・アクティビストと同じである。A-bee氏と同じSCOOP MUSICの作家らしいので日本人と思われるがなぜこの名にしたのか…
祝祭空間へようこそ「踊る昭和歌謡-リズムからみる大衆音楽」
「踊る昭和歌謡-リズムからみる大衆音楽」輪島祐介/NHK出版新書
読み中。鑑賞音楽に対し「踊る」という形でオーディエンスが参加する音楽=大衆音楽として定義付け、そこから昭和歌謡をみていく。
ラテンミュージックが外来音楽の歌謡化に大きく関与、ニューリズム等、今の自分の関心事にドンピシャで、前書き読んだだけでそうだそうだ!で満足気味w
「音によって定義される祝祭的な空間への参加」等、ジャニーズはこれ読んどけ!みたいなフレーズ。本文は特に大上段にフカすところもなく昭和歌謡史を踊りの観点でマンボからパラパラまで丁寧になぞっている。ゆっくり読みたい。
著者がアフロ・ブラジル音楽研究の方であることでジャズ・ロック優位の輸入音楽受容史を相対化する視点、Twitterで拝見したのだが大野一雄研究所のパラパラシンポ参加が執筆のきっかけのひとつ等、とにかくツボだらけ。
嵐ヲタクとしては今日本で有数の参加型音楽祝祭空間であるジャニーズのコンサートについても聞いてみたい。だって今ユーロビートやパラパラで踊ってる人たちってタッキー&翼やV6のオーディエンスじゃない?
お祭りマンボからラテン、HOUSEからTRAPまで踊っちゃうジャニコンとお客。
ユーロビートが日本的土着として定着しつつあるモデルとして岐阜で「ダンシング・ヒーロー」が盆踊りになっているという話で、千葉北西部等各地で見られるボニー・Mの「バハマ・ママ音頭」を思い出した。
ボニー・Mもヨーロッパディスコだけどカリブやアフリカの人を連れて来て作られたエキゾチカだ。
バハマ・ママ音頭は竹の子族風なオリジナルな振り付けでクックロビン音頭みたいにかけっこ足で周り「ソレソレソレソレ」とヤンキーくさい掛け声が入るのと、炭坑節の振り付けで踊るパターンがある。後者の方が絶対的にかっこいいと思うのだが、どうか。
(後日「ダンシングヒーロー音頭」をyoutubeで見た。バハマママ音頭が70年代の和製ソウルダンス風の横揺れステップ+手振りで櫓の周りを回転するのに対し、こっちはやっぱりパラパラで縦ノリアップを取りながらサイドステップで櫓の方を向いて踊るのに時代の違いを感じた。ヲタ芸みたいな振りも。)
[以上、2015年2月16日のTwitterより加筆修正]
兎に角、「音によって定義される祝祭的な空間への参加」というフレーズが私は大変気に入った。
これから嵐のコンサートを「音とダンスによって定義される祝祭的な空間−Discoへの参加を呼びかけるもの」としてみればいいのだと単純に思った。