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もう一つのジャニーズイズムとみだら歌謡の完成形 イン・ザ・ルーム

Japonism

80年代アイドル歌謡の煌びやかさと少年隊へのリスペクトに溢れ、ほとんどの曲が表拍四つ打ちに還元できるアルバムJaponismのなかでいきなり異彩を放つオフビートなこの曲、イン・ザ・ルーム。ここにある嵐のもう一つの源流、ジャニーズイズムとは、そうSMAP。 

 

都会的でフュージョンなサウンドにダルな歌詞。SMAP1995年のアルバム「SMAP 007〜Gold Singer」で確立されたグルーヴの利いたブラックミュージックをベースにしたJpop。これもまたもう一つの大いなるジャニーズイズムでであることを思い出す。むしろ嵐がデビューアルバムARASHI No.1(ICHIGOU)〜嵐は嵐を呼ぶ〜で若々しく辿っていたのはこちらの流れだっただろう。

私見では嵐が辿ったSMAP以降の音の流れは次アルバムのHERE WE GO!で頂点を極め、続くHow's it going?でフィーリーソウル・ディスコへの回帰という形で一旦終わり、4枚目からはよりpopな曲が中心となっていく。だがこのSMAPの伝統は必ず嵐のどのアルバムにも見え隠れしてきた。成功した曲もあればイマイチの曲もありながらこのジャニーズの伝統をどう生かすか、試行錯誤は続いていた。ここに来てその形がひとつの完成形を見たように思う。

エッジが効いたSMAP 007〜Gold Singerの各曲に比べてこちらイン・ザ・ルームは紗がかかったような、どこか埃っぽい湿った世界。だがそこで展開される嵐五人のヴォーカルがとても魅力的。 

この曲はまるで、五人の声で丁寧に構成された一冊の小説本のようなのだ。
 
世界観は私が密かに日活・ATG系(古くてすいません)と名付けているアングラで男の仄暗い情念を歌ったもの。
眠らないカラダ、Let me down、wanna be…などから続く、実は嵐が得意な系統である。しかし一人眠れない夜が明け交差点であった君への妄想を経てどこかのクラブで踊ってる女に誘われて…もう今回はそのまんまエロなのであった。
 
登場人物は二宮。主人公の男の感情・本能を受け持つ。
暗く拗ねたフレーズを吐き出させたらこの人の右に出るものはいない。
let me downにおいて「なってもワンダぁー」と歌うだけで狂っていく男、その眼差し、見てる風景、そいつがこれからとる行動への恐怖まで想像させた、二宮のフレーズの破壊力。
このアルバムでは「青空の下、キミのとなり」での「出口の見えない世間の“しつぼう”」というフレーズが印象に残った。そんな二宮の「ルージュ、染まりたい」の導入で一気に世界に引き込まれる。
 
小説の作者は櫻井。さて、主人公の二宮をどうやって墜としやろうか、
と思いを巡らしながら自分の中にある理性と本能が主人公と一緒に揺れ動くのを愉しんでいるようでもある。
この、感情の二宮と理性の櫻井が重なったり相反したり声のせめぎ合いをするのがこの曲の面白いところだと思う。
意味ありげではあるけれど、どうももどかしい主人公視点から、場面が転換し櫻井の問答無用に直截的でエロティックなRAPがト書きのように差し込まれるのがとても効果的。
 
 
櫻井二宮が部屋の中にいる男のさまを描写しているなら、大野相葉松本が受け持つのは部屋の空気、匂いや流れる時間。
 
 
大野は今までこの手の曲では櫻井のように「二宮の感情や夢想」に相対する理性の戸惑いや情景描写という役割を担ってきたが、今回は少し趣が違うように見える。相変わらずの「神の視点」的語り口の歌声ではあるが、イン・ザ・ルームという小説本においては活字書体や文字の組み方、造本、文体といった基礎的な部分を担っているように感じる。これは本を手に取ったときの読者=曲を聴いた者の感覚に真っ先に訴えるところで決してぶれてはいけない。やもすれば無機的に聞こえる大野の声が、むしろ無機的であるべき基幹の部分に回ることで、櫻井二宮が語る登場人物に奥行きが出る結果になったと思う。
 
相葉は部屋に射す光、私はこの人の声はいつも光の粒のよう、窓から部屋の中に光が差して空気中の小さな粒がふわふわ舞っているような、そういう声だと思っているのだが、ここでもどこか暖かいぬくもりのような有機的な世界を作り出している。この人がいることで、この曲が昼下がりの薄暗い部屋の中でのことだと想像できてしまうのだ。「可憐な花を抱いて」のフレーズが差し色のように生きている、その花は窓から漏れる淡い光の中に浮かび上がっているのだろう。つーかもう相葉が花だろこの声。
 
 松本はこの曲においては低音パートを受け持っていて、曲全体の手触り、本で言えば紙の種類や色といった役割を担っているように思う。この人の声は優しい甘さや浮き足立つ幸福感といったものを感じさせるのだが、ちょっと背徳的なこの曲ではそのカラーを前面に出すわけにはいかない。その代わり、控えめな甘さ、イケナイ行為ではあるけれどそこにはいっときの幸福も優しさもあるのだ、という空気を醸し出している。控えめだけれど少し特別な楽しさ。本の中に隠されている綺麗な栞であったり、部屋の中のクスクス笑いのような。 
 
最後に、一番大切な、本のタイトル。仮の時点では「ルージュ」いややっぱりルージュじゃ駄目なのだ。男がただ見ている光景ではなくそこには時間と空間と温度が存在しなければ。イン・ザ・ルーム。これで完成。覗いてみたい、読んでみたくなるでしょ、このタイトル。 
 
こうして5人の声が有機的に絡み合い一つの空間を作り出してパッケージされることでこの曲は「年若い少年が背伸びして意味ありげな艶歌を歌う」というこれもまたひとつのジャニーズイズムだが、その次元から抜け出したように思う。まあ実際もう嵐は若くはないのでこの進化はなるべくしてなったとも思える。
童貞くさい「眠らないカラダ」から13年。
嵐も堂々とみだら歌謡を歌えるようになったのである。
 
しかも5人グループならではの複雑な声の構築による奥行を持って。 
 
そして前言を翻すようだがこれは揶揄でもなんでもなく、嵐が正真正銘アイドルたる所以と感じるのはこのような「声の構築」は自分達でやろうと思ってもそうはできないだろうということ。恐ろしく客観的な目で嵐のメンバーそれぞれの声と調和するシーンを作り上げ、つなげて組み立てるミキシングの上手さが嵐という素材の持ち味を引き立てていると思う。意外と本人達も仕上がってからへえこういう風になるのか、と思ってるんじゃないかと想像するほど。そしてその驚きが結果的に各人のスタイルやスキルを次につなげ飛躍させているのかもしれない。
自分達では計り知れない完成系を外側から枠組みし、だんだんと内側からも正真正銘その形になっていく
アイドルの可能性と面白さの一つの到達点を見た思いになれる曲だ。
 

「イン・ザ・ルーム」作詞:小川貴史 Rap詞:櫻井翔 作曲・編曲:Jeremy Hammond

*作曲・編曲者名は現在獄中にいる有名な若きハッカー・アクティビストと同じである。A-bee氏と同じSCOOP MUSICの作家らしいので日本人と思われるがなぜこの名にしたのか…