復活LOVE 初回盤レビュー : Hiphop以前の歌世界へ遡る、折り返し地点の傑作

まず最初に言います。傑作です。嵐の音楽史において大きな意味を持つ曲だと言えます。

嵐のLOVEをイメージして山下達郎竹内まりや夫妻が書き下ろした。NTTドコモdヒッツタイアップ曲。

作詞・竹内まりや 作曲編曲・山下達郎 コーラス&プログラム・山下達郎 ストリングスアレンジ・牧戸太郎 ストリングス演奏・今野均ストリングス ガットギター・佐橋佳幸。初回盤にはミュージックビデオ、メイキングDVDが付属。

ここでは曲(嵐の既存曲との共通性や山下達郎氏が大きく影響を受けたブラックミュージック、主にモータウンサウンドについて)、ダンス(主に歌番組で披露されたヴァージョン)、メイキングでのメンバーによる製作話から復活LOVEに触れていきたい。

曲提供の経緯等、大まかなことは復活LOVE - Wikipediaを参照いただきたい。ただしここで山下氏の発言として「こういうライブだったら俺にもイメージあるな」とあるが、これは「こういうLOVEだったら俺にもイメージあるな」ではないかと個人的に思い、その解釈で進める。いずれにしても山下夫妻が見た嵐2013年のライブは「 LOVE」と題されたアルバムのツアーであり、もちろんテーマは愛であった。嵐のファンには言わずとも通じるが、このことを頭の片隅に置いていただければさらにこの曲への興が増すのでは。嵐ファンなら、山下夫妻がLOVEのどの曲のパフォーマンスにインスパイヤされ復活LOVEをイメージしたのか考えるのも面白いだろう。

まず曲、印象的なギターのカッティングから(以降様々なシーンでこのカッティングが顔を出す)、続く美しいストリングスと達郎氏のコーラスで始まる。 第一印象がこれ。

とにかく音が素晴らしい。山下氏曰く、編曲は「オールドスタイル」だそうだが、最近の嵐の曲に顕著な圧倒的な情報量と音圧で全ての音が溶け合っていく(これはこれで悪くない)傾向とは逆に、一つ一つの音がクリアに意味を持って聞こえてくる。ソロのヴォーカル処理においても「ダブルヴォーカル(ダブルトラック→一人の声を多重に重ねる の意味と思われる)はしない方針」という事で徹底している。

 次に思ったのが「モータウン風ムード歌謡」。モータウン風というのは、乱暴に言ってヴォーカルがシンコペーションしててギターが右左チャンネルの下の方でちょんわかちょんわかと鳴ってて、上からストリングスが降ってくる感じ。典型的なのはこういう。

 Love縛りでwシュープリームスの「ラブ・チャイルド」

歌詞も「君が去ってしまった、僕には後悔だけ、寂しいよ戻ってきていくらでも謝るよ僕にはエインジェル君だけなんだ」というシンプルなマーヴィン・ゲイ以前のモータウン失恋ソング。

嵐の初期曲「とまどいながら」(2003 How's it going? 収録)「君はいないから」(2002 HERE WE GO!)を思わせる、ストレートな大野智のソウルに傾きながらも温度の低い透明感ある歌唱、それに続く各メンバーのシリアスなソロ回し(「もう一つのジャニーズイズムと淫ら歌謡の完成形」でも触れたが、それぞれの進歩は著しく、若い頃表現できなかった世界を見事に歌い上げるまでに上達している)が、前述したデビュー数年後の背伸びした歌唱とは一味違った円熟味を感じさせ、倦怠期カップルに起こった別れと再会、という曲にリアリティを与えている。

歌唱における客観性、対象への距離感は嵐というグループの持つ大きな特性であり、この曲を泣きの歌謡曲に、あるいはそのメタなパロディとなることから避けている。それでいながら山下氏発案による「I miss you…」「おかえり」といった「決め台詞」の挿入によって観客をキャーッと言わせるアイドル歌謡になっているのが見事。ドラマティックな間奏のストリングスの盛り上げ、その後に聴こえてくるガットギターの控えめな旋律も印象的。

 歌詞について。竹内まりやによる歌詞、その世界観、についてはこちら愛の為にふたりで何をしたというの −−スプリンクラーから「復活LOVE」へ)も併せて読んでいただけると。この他、メンバー自身の感想として「歌詞に繰り返しがない」。リフレインがなく「手紙のよう」で新鮮だったと述べている。この歌詞は一つの物語になっていて時系列順に聴いていかないと意味をなさないものになっている。また終始一貫して男の独り言で、視点が変化することはない。

歌詞と同様、PVの作りもワンカットの長回しで人物とカメラが複雑に移動することでソロヴォーカルを繋ぎ、場面が途切れることなく移り変わる。

 ダンス。モータウン風の仕草(チョリー・アトキンス←この人は歌手にダンスを踊らせるという事を初めてやった振付師〜によるテンプテーションズ等のダンス風)を取り入れながら、ジャジーなミュージカルやドラマのようにストーリーに沿って進行する。アイキャッチとなるような繰り返しやルーティーンのない構成。

歌詞、PV、ダンス全てにおいて「キャッチーとなる要素をあえて置かない」「繰り返さない」「戻らない」「時系列に沿って進む物語」を作り上げている。(その中で唯一繰り返されるギターのリフが様々な想像を呼び起こす)

これは、嵐のデビュー時からの特性であった「いろんなものを集めてぶち込んで全部等価に切り刻むカットアップ、サンプリング根性、Hiphop性」とは逆の方向性である。逆というより、それ以前に遡ったと言ったほうがいいか。

この曲から嵐のセカンドアルバム「HERE WE GO!」(2002)や3rdアルバム「How’s it going?」(2003)と同じ雰囲気を感じ取る嵐ファンが多いが、原因の一つはその源流が6−70年代のブラックミュージック、特に大衆に訴えかけるPopなモータウンフィラデルフィア・ソウルなどの楽曲群にあるからだと思われる。

ただし大きな違いは嵐のアルバムはHiphopを経由したサブカル-匿名的な楽曲であり、山下達郎の曲は山下達郎の作家的解釈で独自に発展した日本のpopで、この復活LOVEもまぎれもなく後者のストレートな山下J−popだという事。

実は私は山下達郎氏のはじめの認識は「正月になると大瀧詠一と喋ってる人、音頭とか昭和コミック歌謡を時々かける人、ドゥーワップ・アカペラの人」なのでお洒落、都会的一辺倒ではなく土着的なイメージも持っている。土着といっても都会の土着ですね。都会にいるからこそ知ることのできる異国の泥臭い音楽、知らない土地で流行ったポップミュージックに夢中になり育った人。なので、この曲はモータウン風昭和ムード歌謡に聞こえる。

でわたくし、もう何年も前から嵐は昭和歌謡が絶対似合う!と主張してきたので、山下達郎さんが嵐にモータウン風ムード歌謡をアテ書きしてきたのがすごく嬉しいのだ。

だって、嵐がずっとやってきた

  •  「ブラックミュージックのアイドル的解釈」という歴史、 
  • 今の30代の彼らが持っている「声の特性による昭和歌謡的ストーリー」構築、
  • 彼らが持ち続けてきた空気感「ちょっとさえない僕たちの日常」のシーン。

これらの要素を尊重し、見事に生かして、山下達郎的解釈ですんばらしい音で仕上げてくれたのだから。

嵐が挑戦してきた音楽歴をきちんと踏まえて、J-popとして作り上げ、40歳50歳になっても歌える嵐のアイドルソングとして復活LOVEを作り上げてくれた山下夫妻。

 嵐にとってのPopとは何かという問いに一つの素晴らしい道を示してくれたことに感謝したい。

 

追記

山下氏がジャニーズアイドルに楽曲を提供する際の方法論について興味のある方はKinKi Kids 硝子の少年のwikiも参考にしていただきたい。wikiでは筒美京平にしか触れていないがインタビュー等で山下氏はジャニーズ楽曲モデルとして馬飼野康二も挙げている。言わずと知れた現役のザ・ジャニーズメロディメーカーであり、今に至るまでジャニーズの様々な曲、特にバレーボールユニットのデビュー曲を手がけ、嵐のデビュー曲から初期のシングル曲も馬飼野氏作曲である。また、嵐メンバーにおいても自分達の原点、ジャニーズ的なるもの=馬飼野楽曲と捉えているフシがある。筒美京平は1990年代以降、近藤真彦を除くジャニーズへの楽曲提供が減っていくのだが馬飼野康二Sexy Zoneのような若いグループにも多数曲を提供している。

他に単なるおもしろ話として。復活LOVEのサビに下降音階が多用されるが、山下達郎が初のジャニーズ曲であるハイティーン・ブギ近藤真彦に提供する際、近藤の歌の特性を調べ倒し「上昇音階では音を外すが、下降音階では外す事が少ない」と突き止め、そのように作曲したエピソードがある。